母は、パーキンソン病の疑いって事で検査入院をしたんだが、病院は一つの結果を出すのに3週間も掛けてくれてその間一人住まいとなってしまった私は、頑張って自炊をしていたなぁ。昼は社食だったけど朝晩とご飯を炊いて食べていたもの。
結果はなんとなく予想が付いていたんで、将来を考えて炊事ができるように自分なりに訓練をかねていたのかもしれないけど・・・・帰宅時にスーパー寄って買い物して帰るってパターンだったな。結局季節柄(3月) 鍋が多くてなんら料理のレパートリーは増えなかったんだけどね。
18時過ぎのスーパーマーケットって自分みたいな男性客が多くて、皆それぞれ理由はあるんだろうけど・・・びっくりした記憶が有るなあ。
3週間の検査入院が終わって退院の日、先生から「パーキンソン病です。」と診断された時は自分なりに覚悟は付いていたのでそんなにショックではなかったなぁ、隣で母親は「なんで私が。。。」って泣いていたけど。。。自分としては病名が判ってすっきりしたって気分だったかなぁ。まあ事の重大さが良く判っていないだけかもしれないけど。
現在は治療方法は無いんだけど、症状を緩和するためのお薬が出来上がっていて退院後はかなり日常生活が改善されました。入院前は、スーパーのレジでお金を払うのに随分時間が掛かったり、道端でこけて額に大きな傷を作ったりしていましたが、退院してお薬を飲むようになってからは、通常生活に全く支障を来たしていなかったですからね。
もう亡くなった小森和子が同じくパーキンソン病だったらしいけど、そう言われてみれば手の振るえとか姿勢、肌の色とか症状が出ていましたからね。鶴太郎が良く小森和子の物まねをして笑いを取っていたけど、ある時からやらなくなったのは病気だったことが業界内で公開されてたんでしょうね。
まあこの病気は天寿を全うできるらしいので、苦しみを伴い死に至る癌などと比較すれば全然大した事無い病気だってのが今でも持っている自分の考え方ではあるんだけど。。。